対話イベント開催レポート

「感じる学びからはじめる、あたらしい教育のかたち」~観想教育×対話×森を通して考える日本の未来~を開催しました

「感じる学びからはじめる、あたらしい教育のかたち」~観想教育×対話×森を通して考える日本の未来~を開催しました

2025年2月、新緑を待つ静かな季節に、武蔵野大学ウェルビーング学部准教授であり、対話のプロフェッショナルである中村一浩(カズ)さんをゲストに迎え、教育のあり方を探究する特別なプログラムを開催しました。

今回のテーマは、「感じる学びからはじめる、あたらしい教育のかたち」

この企画の種が蒔かれたのは、慶應義塾大学で開催された観想教育のシンポジウムでした。

「内面を深く見つめる体験と、そこから生まれる対話を組み合わせた場をひらきたい」 そんな願いが、英国シューマッハ・カレッジでの教育視察を共にした同志であり、恩師のような存在でもあるカズさんとの共催という形で結実しました。

「教育とは、単なる知識の伝達ではない。存在そのものへの奇跡とつながりを体感するプロセスである。」

私たちが今立っている「教育」という巨大な土壌。それがどのような願いを持って耕され、今の形になったのか。過去から現在までの歩みを地球46億年の歴史を辿る「Deep Time Walk」のように辿り直し、これからの教育の種を共に見出した時間の記録をお届けします。


教育の歴史は、願いと愛の結晶だった

今回のワークショップで私たちが最初に向き合ったのは、「教育システムの歴史的変遷」を深く味わう旅路です。

私たちは、効率重視で画一的な現行の教育システムに対し、つい現時点からの目線で批判的な意識を向けてしまいがちです。「工場生産のように、画一的で量産型の教育はもう限界だ」と。しかし、シューマッハ・カレッジで学んだシステム思考(全体性の視点)に立てば、物事にはすべて「そう成らざるを得なかった背景」があります。

江戸時代以前の特権階級のための学びから、明治維新後の切実なアイデンティティ形成、戦後の高度経済成長を支えた愛国精神と復興への情熱。そしてバブル崩壊後のゆとり教育から、現代のIT教育や探究型学習へ。

これらを単なる年表としてではなく、当時の人々が直面していた外圧や課題、そして「より良い未来を子供たちに残したい」という切実な願いとして辿り直したとき、私の中に微かな変化が起きました。

これまでの教育を否定することは、その教育を受けて育った「自分自身」を否定することでもあった。けれど、歴史の奥底にある「愛」に触れたとき、既存のシステムへの批判は、過去の人たちへの深い感謝とリスペクトへと変わっていく。そんな時空を超えた不思議な体験となりました。


森を歩き、境界線の溶ける感覚を味わう

ランチを済ませ、午後の時間はカズさんによる「街と森歩き&観想ワーク」。

「ホリスティックって全体性って意味なんだけど。全体って、分けることができないし、言葉にできないんだよね。分かつことができないから全体なのであって。感じることでしか、わからないのが全体性。だから、シューマッハ・カレッジの学びは感じる体験が多いんだよね。」

というカズさんの言葉でわたしたちは会場という箱を飛び出し、冬の終わりの明治神宮の森&竹下通りへ。わたし1人だったら、日曜日の竹下通りにわざわざ行こうというアイデアが無かったので、新鮮なチョイスでした。カズさんは言います。

「竹下通りも、明治神宮の森も、住宅街も、ぜんぶ自然だからね~」

そう、何かを区別して分けるのはいつだってわたしたちの思考。

みんな同じ原子から生まれており、大地という視点では全部つながっている。

どこに意識を置くかでこんなにも世界の見え方や感じ方は変わるんだよなあとハッとさせられました。

 一歩一歩の足裏の感覚、肌をなでる冷たい空気、情報量の多い看板、ごった返す群衆、鳥の声、枯れ葉の匂いに意識を向けながら、そして自分の内側に意識を向けながら歩きました。

大都会の人混みと、静寂の森。両方を歩くことで「自分」と「外界」を分けている境界線が、少しずつ曖昧になっていく感覚。 こうして私たちは「生活空間と自然の分離」から解き放たれ、自分たちもまた、大きな生態系システムの一部であることを思い出します。

森は、正解を教えてはくれません。でも、森に入るとわたしたちがもっている感じる知性が呼び覚まされます。

人間は古来より森と生き、自然のイチブとして生きてきました。

この「感じる世界においては、世界は分けることができずにすべてがつながっている」という体感こそが、これからの教育において最も大切にしたい土壌だと確信した時間でした。



<プログラムの概要>

知識としての歴史理解に留まらず、Head(知性)・Heart(心)・Hand(実践)を統合し、身体感覚を伴う学びをデザインしました。

ー教育の歴史的変遷を辿るジャーニー

江戸以前、明治・大正、戦後、そして現代。4つのフェーズに分けて社会背景と教育の関わりを紐解きました。「なぜこの仕組みが必要だったのか」という意図を汲み取ることで、教育を「自分事」として捉え直しました。

ー内面を感じ、気づきを言葉にする対話

歴史という大きな物語に触れた後の、自分の中の微細な反応を大切にする時間。沈黙の中で自分の呼吸や内側の感覚に耳を澄ませることで、頭(知性)だけで理解するのを止め、心(感情)で歴史を味わいました。

ー森と街を歩く観想ワーク

「竹下通りも、明治神宮の森も、住宅街も、ぜんぶ自然だからね~」というカズさんの言葉とともに、自然と人工を分けない意識状態で神社、竹下通り、明治神宮を歩きました。

ー芝生の上での対話会 

自分が言語化したもの、表現したものを、他者にただ静かに「目撃」してもらう。誰かにジャッジされずに認められることで、自分の中にあった輪郭のない想いが、確かな「現実」として創造されていく感覚を共有しました。


参加者の声:

さいごに、参加者の声のイチブをご紹介します。

今回のプログラムに参加した皆さんの言葉には、個人の枠を超えた「全体性(We)」への気づきが溢れていました。

■ 教育の本質に気づいた時間

「ほとんどの方が初めましての空間でしたが、アットホームを感じながら、過ごすことができました。今回の教育の歴史はとても面白くて、だから今に繋がっているのかという納得することができてとても良い学びとなりました。現代は自分とのつながりを取り戻す時なのかなと思ったりしました。 教育は誰かから教わるのではなく、地球で、自然から、周りにいる人全員から学ぶんだなと実感した1日でした。」

(大学生・20代)

■ 無理に言葉にしないことの勇気

自分にとっての良い学びは、ポジティブ/ネガティブ問わず、何度も思い返して、何度も意味づけをしたり、理解しようと考える体験や経験のことだなと思うのですが、まさに昨日はそういう日だったなと思いました。
歴史を感じることで得た繋がりに思いを馳せる感覚や、先人たちからの贈り物への感謝の気持ち、違和感をもとに対話をする面白さ、考えるタネ、竹下通りから受けた息苦しさや動的な生のエネルギー、明治神宮で感じた匂い、感触、音、静なるエネルギー…みんなで円になって、浮かび上がってくる言葉を出して一緒に観察することを楽しんだアート鑑賞的な対話の心地よさ…
無理に感じたことを言葉にしきらなかったことで、余白が残っていて、そこに今後の経験と紐づいた学びがくっついていくんだろうなと思います。記憶力が悲しいくらいに皆無な私でも、感覚は覚えておけるので、私の身体が、心がこれから何に反応して、昨日の出来事をどういう学びに変換させていくのかが楽しみだなと思います。

(専門学生・30代)

■全体性を感じた時間

AかBのどちらかではなく、それをも包みこむような全体性があると感じることができました。人から人へと伝わってくるものであり、身体を通して分かるものがあると感じました。 今日、この場、みなさんとの出逢いがあったからこそだと思ってます。ありがとうございました。

(会社員・40代)


編集後記:主催者より

わたしを生きることは、すべてを包摂すること

今回のイベントを通じて改めて感じたのは、シューマッハ・カレッジの創立者サティシュ・クマールが語る「すべては、愛(Love)」という言葉の深みです。

「あたらしい教育」とは、古いものを壊して全く別の何かを創造することではありません。これまでの歴史が抱えてきた痛みも、功績も、矛盾も、すべてを「含んで超える(Include & Transcend)」ことなのだと思います。

今あることの奇跡を再発見し、どんな過去も自分の一部として受け入れる。 そのとき、私たちは初めて「正しさ」という武器を置き、本当の意味で対話を始めることができます。

歴史という「Deep Time」を旅し、静寂の中で自分の本質に触れたこの1日。 素晴らしい対話と、深い目撃の時間を共にしてくださった皆さま、本当にありがとうございました。 ここからまた、それぞれの場所で「感じる学び」を育んでいきましょう。